中国伝統祭り――中秋節

今年の中秋節は9月15日である。

 旧暦8月15日の中秋節は、春節(旧正月)、元宵節、端午節と並ぶ「中国の四大伝統祭り」と呼ばれている。早くて、周の時代(紀元前1046年~紀元前771年)からすでに、王様を始め、春分は太陽を、夏至は大地を、秋分は月を、冬至は天を祀り風俗が流行っている。その後、この日の夜は一家団欒し、庭に供え物をならべ、月を拝んで月見をする。月餅やくだものを食べ、団欒や豊作を祝う。若い男女は月明かりのもと、踊ったり、恋人を見つけたりして楽しむようになった。

中秋節に関する伝説――「嫦娥、月に奔る」 

 弓の名手後羿(コウゲイ)は妻の嫦娥と愛しがって、愛している人とずっといられるため、後羿は、西王母(西方の崑崙山に住むとされる中国の伝説の 女神)から不死の薬をもらえて、嫦娥に保存させた。仙の生活に憧れている嫦娥は、その不死の薬を一人で飲むと、月に昇れ、仙になれると聞き、こっそりと不死の薬を飲んでしまった。数秒後、嫦娥の体が軽く軽くなって、月にあるという宮殿「広寒宮」へ舞い上がってしまった。しかし、その「広寒宮」は、名称通り、広くて寒いところで、しかも、誰一人もいなく、非常に寂しいところだ。嫦娥は後悔し、泣きながら、夫の夢の中でこういった。「明日の8月15日は、一番月が丸い日で、あなたは、小麦粉でつきのような丸い月餅を作って、部屋の西北方向に置き、私の名前を3回呼んで、三更(夜12時)の時、家に戻れます」。翌日、夫の後羿は嫦娥の話どおりに用意し、三更になって、嫦娥の名前を3回呼んだら、嫦娥は本当に戻ってきて、夫妻が団欒できた。しかし、太陽が昇る前に、嫦娥は戻らなければならない。その後、毎年の8月15日、後羿は月餅を作り、嫦娥の戻りを待っていた。中秋節は家族団らんの日とされるようになった。

zhongqiujie4.bmp

  

各地のさまざまな月餅(ゲッペイ)

 中秋節に月を祭るときには、必ず月餅やくだものがなければならない。月餅はいつごろ生まれたのか諸説があるが、南宋(1127年-1279年)の『武林旧事』には、すでに「月餅」という表記が出てくる。その後、明代 (1368~1644年)になると、団欒の意味を表す月餅は、中秋節の供え物や民間の贈答品として形作られたようである。

 菓子屋が作る月餅は、多くが嫦娥、広寒宮、玉兎などのデザイン、または「中秋快楽」などの縁起のよい言葉を刻んだ月餅の型に、材料や餡を入れて、それを圧しつけ、焼きあげたものだ。各地方によって、使う餡や風味が異なるために、月餅の種類は200以上あるといわれる。

阅兵.bmp

 たとえば、江蘇省の月餅は皮が幾重にもなっていて、サクサクとしていて、蘇式月餅と呼ばれている。北京のものはあっさりとした餡や油を使っている。また、広東省のものは皮が薄く餡が多い。南方特産のココナッツの実(白い果肉)や蓮の実のすりつぶしたものを使う ほか、卵黄、ハム、チャーシューを餡に加えるものもある。それは、広式月餅と呼ばれている。甘粛省武威市の農家で作られる月餅は、いずれも麦藁帽子の大きさである。中秋節の前に、自転車に月餅を載せて、親戚や友人に贈りに行く人がいる。農家では、ウコンなどの植物染料を使い、月餅を赤や黄、緑の色に染めるほか、小麦粉で作ったウサギや花びらを月餅の飾りにしている。

  今は、市場でよく売られているのは、ほとんど蘇式と広式月餅この2種類である。