東南アジアの仏教センター

杭州では今や150軒の寺院が存在し、呉越国の時期はここが「東南アジアの仏教センター」であったようである。「震旦第一の仏国」と称された普陀山,中国禅宗五山十刹十大古刹の一つ霊隠寺、「天竺香市」の天竺三寺、浙江省の仏教文化が古くから輝いているのである。

 唐の時代(紀元618年-907年 )の末期から、北方の権力中心は、仏教の発展を制限し始め、それ以降、寺院の数は激減された。幸いながら、銭氏家族のおかげで、仏教は南地方で保持され繁栄できた。銭氏家族は自ら仏教の教育に投資した。そのため、今日まで、南中国で大量の仏像や塔などが見られる。杭州では今や150軒の寺院が存在し、呉越国の時期はここが「東南アジアの仏教センター」であったようである。

 

普陀山

 普陀山は銭塘江の東海への入り口、舟山群島の東南部海域にあり、中国四大仏教名山の一つである。

 普陀山は古くから「海天佛国」と呼ばれ、世界でも有名になる観音菩薩の衆生教化の道場で、仏教の聖地である。ここでの宗教活動の始まりは、秦の時代 (紀元前221年~紀元前206年)まで遡ることができる。唐の時代(紀元618年~907 年)になったらは、海のシルクロードの発展により、普陀山での観音菩薩の道場が建てられ、地理的の有利条件を取っているため、すぐに漢伝仏教センターとなり、東南アジア、日本及び韓国などの国へ仏教を伝えた。清の末期 (紀元1616年~1911年)になると、全山で三大寺、88庵、128茅蓬、僧侶数千人までの規模が形成され、最盛期は僧侶四千人まで達した。

 今日まで残られた一番大きな三大寺院である普済禅寺、法雨禅寺および慧済禅寺である。普済禅寺は宋の時代に建てられ、観音立像が供奉され、建築面積は11000平米あまりがある。法雨禅寺は明の時代に建てられ、山を背にし、古い高くそびえる木に囲まれ、非常に静かな場所である。「震旦第一の仏国」と称された普陀山で散策すると、ふっと袈裟を着ているお坊さんと出会うのは普通である。

 普陀山

霊隠寺

 霊隠寺は 、晋の時代326年に、インドの高僧である慧理によって建立された。すでに1690年以上の歴史をもっていて、中国禅宗五山十刹十大古刹の一つ、杭州でもっとも古い仏教寺院である。

 霊隠寺は 、西湖の西側の霊隠山麓に立地し、飛来峰を向かって、北高峰を背にしている。山奥に位置する霊隠寺は、深い森や霧と雲に囲まれ、一層ミステリー感を覆っている。

霊隠寺前の飛来峰には、浙江省で最大規模の彫刻群が残られた。山頂には五代から元代までの仏像と祖師像の石像が300余り散在している。また、飛来峰は石灰岩でできた山で、青林洞、玉乳洞、竜泓洞など数多くの洞窟がある。霊隠寺を参拝する際、ぜひ飛来峰まで足を運んでください。

 霊隠寺は現在の建物が清代に再建されたもので、天王殿の横額は康煕帝の自筆である。全寺の建築中軸線上に天王殿、大雄宝殿、薬師殿という順番で並んでいる。天王殿の正面にはに太鼓腹を見せ、優しく笑っている弥勒の仏像が置いてある。その後ろに伏魔のまねを手にした韋駄天像。両側に四大天王の像があり、みな同じ高さ8メートルである。天王殿を潜って先に見えるのは大雄宝殿(旧称覚皇殿)で、真ん中に24.8メートルの蓮花に座る釈迦如来仏像が、中国における最大の木彫りの座像で、宗教の芸術品の傑作である。大雄宝殿の次は薬師殿。薬師殿は近年再建されたもので、殿内には薬師仏像、日光天子、月光天子の仏像をなどをお祭りしている。

 年間何百万の仏教徒が霊隠寺へ参拝に訪れている。

霊隠寺 

天竺三寺

 天竺三寺は、上天竺、中天竺、下天竺という三つの寺で構成し、杭州で有名な古刹であり、霊隠から天門山にかけて周囲に広がる天竺山に位置し、霊隠寺に近い

 清の乾隆(けんりゅう)帝は、それぞれ、法喜寺法浄寺法鏡寺という名を賜った。

 後晋の天福四年(939年)、僧の道翊は白雲峰の麓で仏教を学び、そして、上天竺寺を創立した。上天竺寺が、清の時代の1898年が大いに修繕され、また、1985年と1991年、再び修繕された。

 中天竺寺は隋の時代(597年)、僧である宝掌により創立した。清の乾隆帝はここに訪れたため、1892年に修繕された。戦火のせいで、法浄寺は大きく破壊されたが、1947年、政府の努力の下で、再び修繕された。
 下天竺寺は霊隠寺に非常に近い。東晋の時代に創立され、法鏡寺と名付けられた。隋の時代に拡張され、下天竺寺と称された。寺院が広く、向こう側は月桂峰であり、金仏洞、三世石、蓮花泉などの名跡を背にしている。多くの文人墨客、例えば、李白、白居易、楊万里などが、ここで詩を残した。

その天竺三寺は古くから多くの参拝者が訪れ、「天竺香市」は今日まで続いている。

 天竺三寺