越地の長歌――浙江省の歴史文明

このページは浙江省の歴史文明を紹介している。旧石器時代や新石器時代などの文明夜明けから、先秦時代や漢の時代の封建社会初期、封建社会末期の清の時代までの浙江省の礫文明を全般的に見てみよう。

 浙江省は古くから「魚米の郷」、「シルクの府」としてよく知られてきたが、「文化と歴史の発祥地」としても周知されている。浙江の繁栄は、早くも晋の時代(317年~420)に、中国のファイナンシャル中心が江南(長江下流領域の南側)に移行してからのである。浙江省なら、杭州、紹興、寧波という三つの都市は最初に中国歴史名城にリストされた。浙江省の堺内では、杭州の六和塔や紹興の蘭亭などたくさんの歴史文化遺跡が残されていた。

夜明けの文明

 浙江文明は中国古代文明の一部分である。早くも1,000,000年前の旧石器時代まで遡れる。1,000,000年前に、銭塘江あたりでは、すでに人類が活動し、山上文化を作った。そして、蕭山跨湖橋文化(7,000-8,000 年前)、河姆渡文化(5,000-7,000 年前) 、良渚文化 (4,000-5,000 年前) など長江デルタに存在した新石器時代を代表する文明は、浙江が黄河流域と同じように中国先古文明の誕生地となっている。

 50,000前の新石器時代の河姆渡文化に属する「建徳人」は、浙江省の西側の山で活動していたと最初は発見した。その後、201010月に、湖州市安吉町の西苕溪で、旧石器時代の狩猟の道具が発掘された。その発見は、1,000,000年前に、浙江省ではすでに人類が活動していたということを証明した。

 7000年から4000年前まで、浙江省では人類の活動は非常に頻繁であることが見つかった。浙江省にはたくさんの歴史文明の遺跡が残られている。

古代越王国

 先秦時代(紀元前2070年~紀元前221)に、一つの強大の遠古少数民族部落は浙江省で生活していた。彼らは、越という人で、主に浙江の杭州湾辺りで生活し、古代越王国を創立し、浙江省で文明を作り出した。彼らは独特な生活スタイルを持っている。水で仕事に便利のため、彼らは前髪と両側髪を短く剃り、攻撃を避けるため、身体には蛇などのタトゥーンしていた。「髪切られてタトゥーンされた体」の越の人は中原の人と非常に違っていた。

 中国先古文明に、南中国はよく野蛮民族の集中地であるとされた。しかし、越の人は独自の音楽と舞踊を持っていた。彼は、金属、石、革、木、竹などの材料を利用し、音楽器具を作った。中原と比べると、越の音楽は非常に地方の特徴を持っていた。

都の城

 漢の時代(紀元前206年~紀元220 年)に、浙江で会稽国が創立され、東漢の時代(紀元前25年~紀元220)会稽は青銅鏡を製造中心となった。青銅鏡の形は丸いや四角い両方があるが、浙江省博物館で展示しているのは主に、丸い青銅鏡である。

 長い歴史の中、素晴らしい農耕技術が発展された。春秋時代(紀元前770年~紀元前221年)、牛の耕作方法が発明された。漢の時代になったら、農耕技術が大きく上がられた。隋の時代(581年~618)と唐の時代(618年~907)になったら、南中国地方での農耕技術が非常に発達され、全中国の米の倉庫となった。

東南中国のトップ都市

五代十国(907-979年)の時代は、中国いくつかの国に分けられ、戦争が非常に頻繁である。浙江省は強力な呉越国に統治され、相対的に平和で、経済は一時発達されていた。、浙江省は各方面で、東南中国のリーダーとなった。

 宋の時代(960年~1127)の初期、第5代の呉越国の王さまである銭弘俶は戦乱を避けるため、宋に帰順した。銭弘俶は宋太祖の命令に応じて上京し、その後、浙江に戻されたことがなかった。浙江の百姓は、彼のことを心配で、宝石山で、塔を作り、保俶塔と名付けた。今日、俶塔は西湖の見どころとされている。

臨安は今日の杭州であり、南宋時代(1127年~1279)の都である。人口と商業が非常に繁栄した臨安は、当時の東南中国のトップ都市とされた。 

豊かな浙江と江蘇

 明の時代(1368年~1644)と清の時代(16441911)に、杭州―嘉興―湖州平野のシルク産業は非常に発達されていた。清の政府は江寧織造(皇室に納める衣料品の製造調達を行なう機関)を江南都市である杭州と蘇州に設置された。全国の一番品質の良いシルク製品はここで製造されていた。

 宋の時代と元の時代(1271年~1368)に寧波、温州、台州など沿海都市は、海上シルクロードの発展により、造船産業と貿易は非常に発達していた。