東陽木彫

木彫技術は1000年の歴史を誇っている。明?清代にわたって、東陽木彫の発展は頂点を極めた。東陽の盧宅の粛雍堂は、東陽木彫の到達した最高技術の証しともいえるもので、北に故宮あり、南に盧宅ありともいわれた。

   東陽市は浙江省にあり、周囲を山に囲まれ、快適な気候にめぐまれた、物資が豊かなところで、木材の生産が盛んである。現地の彫刻家はみな農業に携わっており、農閑期に木彫を行う。それが全県各地に及んでいて、「木彫の里」と呼ばれている。木彫技術はしだいに発展し、独特な芸術的風格を持つようになり、すでに1000年の歴史を誇る。


東陽木彫

   言い伝えによれば、唐代の活魯班華親方は馮宿?馮定兄弟のために会堂をつくることになり、柱に梁に接合しようとしたところ、180本の楠の大梁がみな1尺二寸足りないことに気づき、活魯班親方は大慌て。そのとき、ちょうどひとりの老爺が魚と肉を売りに来て、活魯班親方は彼を導きいれた。すると、老爺は2匹の魚をお椀のうえにとりだし、箸を二匹の魚の口にさし込み一つに束ねて、立ち去った。これを見た活魯班はひらめきを得、すぐさま職人に360個の魚の頭を作らせ、柱の先に固定し、梁とつなぎあわせた。柱の先の魚の頭は珍しくも美しくもあり、かつ魚頭の中国語の音は「裕福」の音と同じなのでとてもめでたく、後にこの魚頭のうえにさらに牛脚とよばれる装飾が加えられて、これが最も早い時代の東陽の木彫となったという。


東陽木彫

  東陽の木彫は、平面浮き彫りを主とした彫刻芸術で、幾層にもわたる浮き彫り?多焦点の透視構図?平面が残された彫刻など、非常に特色 のあるものである。色彩が淡いため、原木の木目や色艶が残されており、雅やかで「白木彫」といわれる。ムクゲや白桃、クスノキ、イチョウなどの材料の色が比較的淡いものを選んでいるためであり、彫刻後、色の濃い漆を塗ったりせず、もとの木彫の色のままであるからでもある。

   明?清代にわたって、東陽木彫の発展は頂点を極めた。建築物や家具を飾る木彫が普遍化して流行し、ひとつの完全な体系となった。

   東陽木彫は伝統的な古い技法を採用しており、生産工程は手作業を主としている。彫刻作業場にはいつも使う工具として、6つに分類される道具と30種以上もある彫刻刀が置かれていて、これらの簡単な生産器具を使って、図案設計をへて、細密彫刻など9段階11種類の彫刻技法により、精緻で美しく、形と魂が備わったいきいきとした木彫製品を仕上げるのである。

   建築装飾で使われる木彫は、明代に最盛期をむかえた。東陽の旧市街地区にある明代の建築(1462年落成)である盧宅の粛雍堂は、東陽木彫の到達した最高技術の証しともいえるもので、北に故宮あり、南に盧宅ありともいわれた。

   

東陽木彫

  東陽木彫は伝承によって伝えられてきた芸術である。現在のところ木彫工芸に携わる生産企業は全市で200以上あり、木彫製作に専門的に関わっている家庭工房は2000あまりにものぼる。浙江省人民政府が香港復帰祝いに香港特別行政区に送った「航帰」から、新しく建てられた杭州雷鋒塔の中にある巨大な木彫作品まで、みな東陽の作品である。これらの作品は限りがある画面に広々とした世界を描き込み、衰えることのない芸術的魅力を放っているのである。


中国画報より