杭州シルク

杭州は「シルクの都」と呼ばれる。杭州のシルクの深い歴史は、五千年前の良渚文化時代まで遡ることができる。

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  ファッションの変化は無常で、唐の時代の胡服のように、盛んだばかりなのに、桜みたいに一瞬で散ってしまった。豪華贅沢 や奇妙奇天烈的なおしゃれも霧みたいに一瞬でなくなった。しかし、ファッションがいかに変遷しても、ある一種の織物は、いつも衣裳裳裾で現れ優雅閃き詩のごとくのこの生地は、輝かしさ、ミステリーを作り出しつつある――その織物はシルクである。シルクの産地が多数存在しているが、しかし、「 シルクのとして古くから世界でも名を誇る産地は一つしかない――それは杭州である。

 なぜ杭州は「シルクのと呼ばれるのか。それはいくつの理由がある。杭州は有名な歴史文化名城であり、深い歴史と豊富な文化を持っている。杭州のシルクは国内外に有名で、すでに杭州さらに浙江省の歴史の一部分になったと言ってもいい。杭州のシルクの深い歴史は、五千年前の良渚文化時代まで遡ることができる。その時の杭州の祖先はすでに桑の木の栽培、養蚕、絹織り、更に原始的な製糸工具づくりもしていた。春秋時代、越の王である勾践は「農桑奨励」を富国政策として実施した。唐の時代、杭州より産出した綾はすでに「天下一」と誇られ、宮廷の貢物にもなった。南宋時代、「机杼の音、々聞こえ」や「都民女子、綾錦雲如く」の盛況が見られた。それによって、杭州は「 シルクのと呼ばれるようになった。1000年前から、杭州のシルクは、すでに東南アジア及びアラビア諸国に輸出されていた。その時より、離陸から海までの「シルクロード」が整備されてきた。

 「シルクのとしての杭州は、深い文化と大衆基礎がある。杭州の絹織り精緻调和が取れた美の集大性で、「東方芸術の花」と称されている。杭州シルクは単の生活消耗品だけではなく、杭州人のライフスタイルと芸術への見解も反映している。マルコポーロ氏は元の初期、杭州を巡歴していた時、このように言った。「杭州ではシルクが大量に生産され、当地の住民は、ほとんどみな綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)と全身美しく着飾っている。」当時、杭州城内は、半分以上の商人はシルクの貿易をやっていた。シルクを乗せている船が川の 流れのように絶え間なく行き来リ、欧米まで及んでいた。

 「都」とは、集大成したものである。杭州は豊富なシルク種類と世界でも名を誇れるブランドを多数持っているからこそ「杭州シルク」という名を今日まで残られ、しかも大いに広めている。長年の発展により、杭州はすでに、蚕の繭の供給から、繰糸糸織り印染、シルク、服装、更に糸織り機械などの設備の生産までの能力も持っている。長年にわたって、綿綿毛绸、缎、绵、纺、绫、纱、绒、绢といった14種類のシルク、200品目、2000余りの色柄をずっと生産している。シルクのブランドも多く、例えば、「都錦生」、「万事亨利」、「凱喜雅」と「喜得宝」などは世界で有名なシルク名品である。

 シルクはたった服装に使う限りではなく、工芸飾物としての杭州団扇と杭州傘にも利用されている。杭州団扇は杭州工芸文化の宝物となり、杭州のシルク傘は杭州の風情を演義しつつある。


中国シルク博物館

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住所:浙江省杭州市玉皇山路73-1