大禹治水

伝説によると、帝堯舜の時代に、黄河流域は洪水がよく氾濫していた。洪水の氾濫を止め、農業生産を保護するため、帝堯は部落首領会議を開き、治水のやり手を募集した。鯀が推薦され、治水の仕事を担当するようになった。しかし、鯀が治水失敗しまって、羽山に放逐された。舜が帝になった後、治水の仕事を鯀の息子である禹に任せた。

 伝説によると、の時代に、黄河流域は洪水がよく氾濫していた。洪水の氾濫を止め、農業生産を保護するため、は部落首領会議を開き、治水のやり手を募集した。鯀が推薦され、治水の仕事を担当するようになった。しかし、鯀が治水失敗しまって、羽山に放逐された。が帝になった後、治水の仕事を鯀の息子であるに任せた。

 話によると、塗山氏と結婚してから4日後に、帝の任命を受け、治水に行った。治水の13年の中では、三回の家の前を通ったが、入ってなかった。一回目は、禹は家の外で涂山氏が分娩呻吟する声や赤ちゃんの啼き声を聞いたが、仕事のため家に帰らなかった。二回目は、息子が彼に手を招いたが、治水の工事が非常期のため、挨拶だけで行ってしまった。三回目は、息子が10歳を超えて、を家まで引っ張って行かせようとしたが、は息子の頭を撫でて、「治水はまだだから、家に帰れない」と言いながら、行ってしまった。


大禹治水

 のこのような治水精神は、人々に唱えてきた。も彼のことを重視し、晩年、を彼の後継人とさせ、首領の座をに譲った。

 は治水のため、三回も家を通っても入らないということは美談になり、今日まで、人々に唱えられてきている。今は、「三回も家を通っても入らない」という諺は公のために私を犠牲する精神を喩に用いている。