梁山伯と祝英台

『梁山伯と祝英台』という伝説は、人々を感動させる美しい愛情物語であり、それは『孟姜女』、『牛郎織女』と『白蛇伝説)』と並び、中国四大民間伝説と言われる。

 『梁山伯(りゃんしゃんぼ)と祝英台(ちゅういんたい)』という伝説は、人々を感動させる美しい愛情物語であり、それは孟姜女(もうきょうじょ)』、『牛郎織女(ぎゅうろうしょくじょ)』と『白蛇伝説(しろへびでんせつ)』と並び、中国四大民間伝説と言われる。その中では、梁山伯祝英台』(略称:『梁祝』)の影響が一番大きく、特に、文学性、芸術性と思想性から言えば、中国各類民間伝説の中で、一番価値がある伝説と言える。『梁山伯祝英台』を東方版の『ロミオとジュリエット』に喩える人が多い。

 『梁祝』は梁山伯祝英台という二人に関する美しい愛情物語である。東晋の時代から、この物語が形成したとよく言われている。

梁山伯と祝英台

 上虞区(じょうぐく)の家の才女である祝英台は男性の服装をし、杭州へ学問を求めに行くのであった。途中で、会稽からの書生である梁山伯と出会って、二人は一見旧知のごとしで、一緒に杭州へ行くことになった。その後、三年間の同窓生活を一緒送り、一緒に学問を求め、一緒に生活をして、二人は非常に深い絆を結んだ。三年後、英台は家に戻らなければいけなく、山伯英台を十八里まで見送り、二人は別れがつらくになっていた。その後、山伯上虞英台を訪ね、ようやく英台が女であることを知った。山伯は家に戻り、英台をお嫁に迎えたいと両親と話し合ったが、英台はすでに両親の意志で馬家に嫁いだことになった。山伯は悔しくて耐えられなかった。山伯鄞县へ赴任の3年間で英台のことを思い思いで、病気までかかってしまって、最後城の清道山の麓に埋葬された。氏が死んでから翌年、英台がお嫁に行く途中、氏のお墓を通しているところ、風が強く、梁山伯の墓がここにあることを知られ、悲しくて、山へ山伯をお参りに行った。祝英台は非常に悲しくて強く泣いていて、その感情が天や地までも感動され、梁山伯の墓は突然一つ口が裂き、祝英台が跳ねていき、同じ穴で死にことになった。その後、二人の霊は、蝶々に化け、踊り始めた。

梁山伯と祝英台

 

梁祝』という物語が人々によく伝われ、それを元にして編集した越劇である『梁山伯祝英台』、バイオリン協奏曲『梁祝』、映画『梁山伯祝英台』など各種類の文化芸術作品が生まれた。『梁祝』という伝説は、中国国内よく知られているのではなく、日本、韓国、シンガポール、ベトナムなどの国まで伝えられ、その国の文学にも影響を及んでいる。